バイオテクノロジーという言葉を聞くと、先端技術による最先端の研究をイメージする人が大半でしょう。しかし、実は古代から人類はバイオテクノロジーを日常の中で活用してきたことはご存じでしょうか。
人類は狩猟や採集の暮らしから稲作を始め、「発酵食品」や「保存食」などさまざまな食料品の生産を行ってきた歴史があります。こうした品種改良や発酵技術は立派な「バイオテクノロジー(生物が持つ特性を活かした食生活や健康、環境保全などに役立たせる技術)」です。
今後も人口増加が予想される地球で、安定的に十分な量の食料を確保することが最重要課題となります。バイオテクノロジー分野での食料問題解決に向けた現状、将来の展望について解説します。
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2023年4月に国連が発表した「世界人口白書2023」によると、世界人口は2022年11月15日に80億人に達しました。このまま人口が増加し続ければ、世界人口は2037年頃に90億人、2058年頃に100億人を突破する見通しです。
人口が急速に増加する中、2050年にはタンパク質の供給が追い付かなくなる「タンパク質危機(プロテインクライシス)」の問題が欧米中心に議論されるようになりました。通常、タンパク質は1日あたり体重の1000分の1が必要とされていますが、人口増加や欧米化した肉食への食生活の変化などにより、2050年にはタンパク質が足りなくなることが危惧されています。また、需要を満たすためには2010年の2.1倍の食料供給が必要になるという試算が出ています。
他にも不安視されているのが、地球温暖化による気候変動、大規模自然災害の増加などによる食料生産量への影響です。実際に、気温の影響を受けやすい農林水産業は高温による品質低下が発生しています。さらには、近年の降雨量の増加などで災害の激甚(げきじん)化の傾向が強まっており、浸水や台風の影響により畑などで被害が出ています。
こうした中、バイオテクノロジーによって食料問題を解決しようとする「フードテック」の動きが注目され始めました。
農林水産政策研究所の推計では、世界主要34カ国・地域の飲食料市場の規模は2015年の890兆円から、2030年には1369兆円と1.5倍になると予測されています。中でもアジア市場の伸びは顕著であり、約1.9倍に拡大するという予測です。
世界の飲食料市場規模の拡大が予測される一方、人口問題や食料不足など喫緊の課題が存在します。バイオテクノロジーの食品分野への応用は、地球規模の課題解決の礎となることが期待されています。
社会で生きるために不可欠である「食」を提供する仕事である食品・飲料メーカーは、食品分野のバイオテクノロジーを追求したい求職者にも人気の就職先です。
加工食品や清涼飲料水など、スーパーやコンビニなど店頭に並ぶ商品は食品メーカーの研究開発のたまものであり、人々の生活を支えている産業の一つと言えるでしょう。
食品におけるバイオテクノロジーの活用に関しては、機能性食品やバイオ食品の研究開発が挙げられます。農業、水産、畜産などの1次産業においては基礎研究がメインであり、企業求人が少ないのが現状です。
この分野で研究開発に携わりたければ、植物学、農学、水産学、栄養学を専門とするアカデミア・研究機関に就職するか、共同研究などの合同プロジェクトに参画するか、が現実的でしょう。いずれも長期的な研究を成果に結実させることが求められます。
食品自給率の向上や、世界の食料危機の解決につながる食品分野におけるバイオテクノロジー関連の技術開発が国内企業でも急ピッチで進められています。衣食住の中でもプライオリティが高い「食べ物」に関する研究は、未来の人たちの食卓を支える分野であると言っても過言ではありません。
具体的に食品分野においては、どのようなバイオテクノロジーの研究が行われているのでしょうか。「オールドバイオ(発酵・醸造)」「機能性食品」「農作物の品種改良」「家畜の繁殖・交配」「魚介類の養殖生産」の5つの領域の「概要」「市場規模」「成長性」についてそれぞれ説明します。
オールドバイオとは、昔ながらのカビや細菌、酵母などを利用して味噌やチーズ、酒や納豆をつくる発酵・醸造技術のことです。また、20世紀に入り開発されたアルコール、クエン酸、抗生物質などを生産する発酵技術もオールドバイオに含まれます。
「オールド」といっても技術自体は私たちの毎日の食生活と密接不可分です。現在でも技術改良を重ねて新たな商品を生み出すなど、技法は脈々と受け継がれています。
バイオエンジニアリング食品の世界市場は2027年に約572億8000万米ドル(約8兆5,700億円)に達すると言われており、2021年~2027年には7.86%以上の健全な成長率で成長する予想です。
通常、「一般食品」は商品パッケージに機能性を表示することが禁止されています。しかし「保健機能食品」は、有効性、安全性など科学的根拠をもとに商品パッケージに機能性を表示することが可能です。
「保健機能食品」には、通称トクホと呼ばれる「特定保健用食品」や「栄養機能食品」、さらに「機能性表示食品」の3種類に分類されます。
2015年に「機能性表示食品制度」が創設されました。それまで、機能性を表示して良いのは、「特定保健用食品」と「栄養機能食品」の2つだけでしたが、機能性を分かりやすく表示した商品の選択肢を増やすことなどを理由に「機能性表示食品」が設けられました。
機能性表示食品とは、疾病に罹患(りかん)していない人を対象に、食品中の「機能性関与成分」を明示することにより、健康の維持や増進に役立つ効果を期待できます。
機能性表示食品の開発には、生物の設計図であるゲノム(全遺伝情報)を書き換える「ゲノム編集」や品種改良が用いられます。例えば、2022年には筑波大学発のスタートアップ企業が開発したゲノム編集トマト「シシリアンルージュハイギャバ」がGABAの含有量が高い機能性表示食品として消費者庁に受理されました。
特定保健用食品は、商品ごとに安全性試験・有効性試験を求められるなど、手続きコストや時間の負担が大きく、ハードルの高い制度でした。その一方、国の審査が必要ない機能性表示食品は、多くの企業が参入しやすいのが特徴と言えます。
こうした背景の下、機能性表示食品の市場規模は、平成30年度の2,240億円から、令和5年度には5,080億円と2倍以上になる予測です。
品種改良とは、遺伝子の変化を利用し、目的に合わせた作物などの品種を作ることを指します。例えば、味や形、色の良さ、育てやすさ、収穫量の多さなどに優れた農産物を開発することを目的としています。さらには、新品種の開発や生産性の向上等も行われています。
これまで人類が取り組んできた品種改良には複数の方法があります。「分離育種法」は自然界で起きた突然変異で性質が変化したものから、より良い物を選抜して新しい品種に改良する方法です。また、異なる品種をかけ合わせる「交雑育種法」などもあります。
近年、新しく開発された品種改良の技術には、別の生物から特定の性質を持つ遺伝子を導入する「遺伝子組み換え」や狙った遺伝子に効率よく変異を導入する「ゲノム編集」などがあります。
穀物や野菜の種子などを研究開発、生産、販売する企業のことを「種苗(しゅびょう)メーカー」と言います。種苗メーカーは、自然界に存在する遺伝資源を素材とし、バイオテクノロジーや交配技術などを使用し、形状や味、収量性などの付加価値の高い品種を創出する取り組みを行っています。農林水産省によると、日本の種苗産業の市場規模は2,600億円程度と推計されています。
優秀な家畜を選別し、多くの子孫を残すためには長い時間がかかります。そこで重要になるのが、人工授精や胚移植などの技術です。食肉用の豚や牛、鶏などの生産においては、繁殖や交配のやり方を工夫することで生産量の増加が見込まれます。
また、繁殖技術を用いて品種改良が行われたことで、1950年からの25年間で、アメリカのホルスタイン種の牛1頭当たりの乳生産量は約2倍に、次の25年間でさらに1.8倍になったと言われています。
近年では、農作物と同じくゲノム編集技術が家畜の品種改良にも導入され、さらにより正確で効率的に行えるようになりました。世界の農業分野に関するゲノム編集の市場規模は2030年には約580億米ドル(約8兆6,800億円)に達する予測です。
気候や環境の変化によって漁獲量が増減しやすい魚介類においては、養殖の重要性が高まっています。特に絶滅危惧種に指定されているニホンウナギの養殖は、未来の食卓を変える養殖技術の一つと言えるでしょう。
魚介類の養殖生産にはさまざまな取り組みがありますが、その一つに「育種」があります。育種とは、より望ましい性質を持つ個体を交配させることで、遺伝によって優良な性質を持つ生物に改良する育成方法です。
魚介類においては、出荷までの飼育期間の短縮を目標にしたり、病気に強く消費者の嗜好にあったものなどを生み出したりするために育種が行われてきました。
近年は遺伝に関するDNA情報をもとに水産物の性質を把握したり、改良したりする研究が進んでいます。また、魚介類の育種においてもゲノム編集が導入され、短時間で効率よく行われるようになりました。
漁船漁業による生産に限界があることが明らかになっているため、養殖生産には大きな期待が寄せられている状況です。実際、水産庁が令和5年6月に出した報告によると、世界の養殖生産量は過去20年間に約4倍に拡大し、今後も成長する見通しとされています。
技術開発が行われている食品分野のバイオテクノロジーが、さらなる発展を遂げることで社会はどう変わっていくのでしょうか。これまでの研究が社会に浸透し、市場に流通する農作物に当たり前のように活用されるようになったとき、人類の食文化はどのように変化するのか、未来を展望してみましょう。
ゲノム編集食品や、遺伝子組み換え食品が普及することで、より効率的な生産体制の構築につながります。
一方、新しい技術を使用したゲノム編集食品や遺伝子組み換え食品に対して、人体への影響を懸念する消費者も少なくありません。そうした懸念を払しょくするためにも、今後も官民が一体となった安全性への取り組みが求められるでしょう。
「Food」と「Technology」を掛け合わせた「フードテック」産業が賑わうことで、多様な食の需要に対する新たな解決策の提供が期待されています。
例えば、フードテックの取り組みの一つである食肉の代替です。米国のフードテック企業はエンドウ豆などの植物由来のタンパク質を材料にした肉やソーセージの開発や、鉄分やアミノ酸、ビタミンをブレンドし、高い栄養素を含んだ食品を販売しています。
また、近年「細胞培養肉」の研究も急速に進行しています。細胞培養肉は、バイオテクノロジーにより、牛や鶏などの生体細胞を採取、培養して肉の組織を再現する技術を用いて作られます。米国では2023年6月から販売が開始され、大きな話題になりました。
2017年のフードテック市場への投資額は約100億ドル(約1兆5,000億円)を超えたと言われており、今後の市場規模は世界で700兆円に上ると見積もられています。これまでの食関連のビジネスを大きく変える可能性のある産業に各国が注目しています。
「2023年世界の食料安全保障と栄養の現状(SOFI)」によると、世界の飢餓人口は6億9,100万から7億8,300万人と推定されています。同報告書では、現状では飢餓問題の解決は難しく、2030年においても6億人近くが慢性的な栄養不足に陥っている可能性があると推測されています。
このような状況を踏まえ、食品分野のバイオテクノロジーでの研究成果により、異国の地の飢餓に苦しむ人々の命を救うことが期待されます。
長期的な計画にもとづき食料供給の仕組みを考える上では、企業とアカデミアによる産学連携が欠かせません。
実例として、「近大マグロ」の取り組みがあります。近大マグロは、1970年から近畿大学水産学部が研究を始め、2002年6月に完全養殖に成功したクロマグロです。
近大マグロは、近畿大学のベンチャー企業となる株式会社アーマリン近代を通して出荷されています。2007年2月には、アメリカへ初の出荷も果たしました。
他にも、2014年には近畿大学とエースコックが共同開発を行い、近大マグロを使ったカップ麺を限定150万食で発売したところ即完売しました。その後も、2015年に第2弾、2016年に第3弾と販売されました。
このような、アカデミアでの研究成果が企業との連携によりビジネス展開される動きは、今後より活性化されるでしょう。
人口増加問題や気候変動などが人類の食に与える影響を考えるときに、将来に対して漠然と不安を抱くこともあるでしょう。しかし、バイオテクノロジーを活用した研究開発により食料の安定供給への問題に対する取り組みが進められていることを考えると、長期的な希望を見いだすことにもつながります。
就職先として、アカデミアによる植物学、農学、水産学、栄養学を専門とするアカデミア・研究機関での新たな選択肢も拡大傾向です。食品分野のバイオテクノロジーの研究開発職の社会的意義は、今後ますます大きくなり、やりがいを持って取り組むことができるでしょう。
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