【バイオテクノロジー業界研究⑥】バイオ技術が原料不足解決の鍵に?~香料分野編~

監修者プロフィール

福山篤史氏
日本総合研究所 創発戦略センター コンサルタント「微生物によるバイオプラスチック生産」を対象とした研究開発の経験を活かし、現職では、政府機関・民間企業に対するバイオテクノロジー・バイオマス由来製品の実装に向けた戦略策定支援、カーボンリサイクル/CCU(Carbon Capture and Utilization)技術の実装に向けた産官学連携のコンソーシアムの企画・運営を担当。著書に「図解よくわかる スマート水産業 デジタル技術が切り拓く水産ビジネス(共著)」「図解よくわかる フードテック入門(共著)」(日刊工業新聞社)。
福山篤史氏

現在、国内外で「香料分野」におけるバイオテクノロジーの活用が進められています。経済産業省が2023年4月に発表した「バイオものづくり革命の実現」では、「バイオテクノロジーによる業界構造の転換が見込まれる分野」として香料分野が取り上げられました。

香料の素材となる物質は、自然界に存在する動物・植物から抽出して得られる天然物や天然物誘導体(※1)または天然物類縁体(※2)を基本としますが、天然物中の含有量が少なく構造が複雑なことなどから、合成生物学(※3)が参入しやすい分野だと言われています。こうした希少性の観点から、バイオテクノロジーを活用して代替香料素材を生成できれば高い競争力を得られると考えられ、開発への期待が高まっているのです。

では、香料市場においてバイオテクノロジーはどのように活用されているのでしょうか。主な就職先や技術開発、今後の展望について解説します。

※1 天然物の構造の一部を変化させた物質
※2 天然物と類似しているが同一ではない物質
※3 組織、細胞、遺伝子などの生物の構成要素を組み合わせ、生命機能を人工的に設計したり、人工の生物システムを構築したりする学問

香料のバイオテクノロジーの実態

バイオテクノロジーの実態

バイオベースの香料市場は、持続可能で環境に優しい代替品に対して世界的な需要が高まっている中、急成長を遂げている分野です。

Report Ocean株式会社の調査によると、世界の香料市場は2022年に約271億1,000万米ドル(約3兆9,352億円)であり、2023-2030年では4.7%以上成長すると予測されています。 また、バイオベースの香料市場は、KD Market Insights調査によると2022年の約21億ドル(約3,048億円)規模から、2032年までに46.1億ドル(約6,697億円)になる見込みです。

日本政府も香料市場でのバイオテクノロジー活用に注目しており、今後の発展が期待される分野です。香料市場は食品や飲料に味や風味を加える「フレーバー」と、さまざま製品に香りを加える「フレグランス」に大別されますが、両分野においてバイオテクノロジー活用の取り組みは行われています。

経済産業省は「バイオものづくり革命の実現」の中で、香料分野でのバイオテクノロジー活用についても言及しています。ここでいう「バイオものづくり」とは「資源自律や化石資源依存脱却など地球規模の社会課題解決と経済成長との両立を可能とするイノベーション」のことです。そして具体的には、「遺伝子技術を活用して微生物や動植物等の細胞によって物質を生産することであり、科学素材、燃料、医薬品、動物繊維、食品等、様々な産業分野で利用される技術」を指します。

従来の化学プロセスでは石油を原料にし、800℃以上の高温高圧条件下でものづくりを行わなければならないため、年間3,000万トンものCO2が排出されていました。しかし、バイオマスやCO2を原料にしたバイオプロセスによるものづくりであれば常温常圧環境となるためCO2排出量の削減が期待できます。

主な就職先は香料メーカーなどの研究開発職

香料分野のバイオテクノロジーに関連した主な就職先は、香料メーカーの研究開発部門がメインです。他には、「バイオファウンドリ」(※)と呼ばれる企業への就職も選択肢のひとつになります。

※ロボティクスやAIを用いて微生物開発から実用化までを高速に行う技術基盤を備えた企業

バイオテクノロジーが原料不足解決の鍵に?

近年の環境問題に対する意識の高まりや、よりクリーンで環境に優しい製品を求めるユーザーニーズから、フレーバー・フレグランスのいずれにおいてもバイオ由来の香料への関心が高まっています。

しかし、天然ソースから抽出できる量には限りがあるため、香料素材の原料不足の問題に直面してしまいます。そこで注目されるのがバイオテクノロジーの活用です。バイオテクノロジーなら、天然ソースから抽出するのが難しく、従来の方法ではコスト的な面でも製造困難なフレーバーを作り出すことも可能になります。さらに、絶滅危惧植物の香りを模倣したフレグランスを作り出すバイオ技術が開発されたことで、生態系へ影響を与えることなく生産を継続できるようにもなったといいます。

バイオテクノロジーの活用により、香料分野では大きな変革が起きていることがお分かりいただけるでしょう。

バイオテクノロジー関連の主な技術開発(香料市場編)

香料市場分野のバイオテクノロジー関連に従事する研究者たちは、どのような技術開発を行っているのでしょうか。ここでは、生物由来の香料をフレーバーとフレグランスの領域に分け、それぞれの「概要」「市場規模」「成長性」について具体的開発事例も含めながら解説します。

技術開発の解説

バイオテクノロジー・フレーバー

「バイオテクノロジー・フレーバー」とは、発酵、組織培養、組換えDNA技術などのバイオテクノロジープロセスを通じて生産されるフレーバー化合物のことです。細菌、酵母、真菌、酵素などの微生物を利用し、天然の基質をフレーバー分子に変換します。この技術により、天然ソースから抽出するのが難しく、従来の方法ではコスト的に困難なフレーバーを作り出すことが可能です。

例えば、「セスキテルペノイド」は非常に有用な化合物で、天然原料から抽出できるものの含有量はわずかです。しかし、バイオテクノロジーを活用した酵素合成法が開発されたことにより、セスキテルペン炭化水素からセスキテルペノイドを合成できるようになりました。

バイオテクノロジー・フレーバー領域の市場規模と成長性に関しては、株式会社グローバル・インフォメーションの調査によると、バイオテクノロジー・フレーバーの市場規模は2023年に473億5,000万米ドル(約6兆8,790億円)と推定され、2024年には506億4,000万米ドル(約7兆3,569億円)、さらに2030年には779億9,000万米ドル(11兆3304億円)に達すると予測されています。今後も市場の順調な成長が見込まれます。

バイオベース香水原料(フレグランス)

「バイオベース香水原料」は、植物、果実、花、その他の天然素材などの再生可能な生物由来の芳香族化合物(※)です。

※ 主にベンゼン環を含む有機化合物のこと。19世紀の発見当初は良い香りをもつ化合物が多かったため「芳香族」と呼ばれるようになったが、必ずしも芳香性を持つものばかりではない

バイオベース香水原料は石油化学製品への依存を減らし、環境への影響を最小限に抑えてくれる存在です。また、ユニークな芳香的特徴を持っているものが多く、香りの多様性と複雑性にも貢献してくれます。

環境に優しく、品質面の付加価値もあるバイオベース香水原料は、化粧品業界における持続可能で自然な製品を求める消費者の需要にも合致しています。2024年時点でバイオベース香水原料の世界市場は57億8,000万米ドル(約8,397億円)とされ、2030年には83億2,000万米ドル(約1兆2087億円)に達する見込みです。

以下で具体的な開発事例を紹介します。

アップサイクル技術
フードロスや農業残渣などにより未利用バイオマスの利活用は、世界的な課題となっています。そこで、本来は廃棄されるはずの資源に新たな付加価値を持たせ、新たな製品に生まれ変わらせる「アップサイクル」という概念が注目されています。

独自の発酵技術で未利用資源を再生・循環させる社会の構築を目指すバイオものづくりスタートアップの株式会社ファーメンステーションは、独自の「発酵アップサイクル技術」を用いて、未利用バイオマスを高付加価値な素材へと変更させる取り組みを行っています。
ファーメンステーションは未利用バイオマスデータベースを実装し、「non-GMO微生物」による発酵生産を可能にしました。これにより、目的とするフレーバーを含む発酵液を生成します。目的とするフレーバーにはミルク感、コク感、ファティ感(動物性脂質)など「本物らしい香味」が含まれており、ユーザーのさまざまなニーズを満たすとされています。

アップサイクル原料を活用した別の事例として、オランダ・アムステルダム発フレグランスブランド「Abel」が2024年7月に発売した香水「ランドリーデイ」があります。ランドリーデイは、世界的なフレグランスメゾンの中では初めてバイオテクノロジーを香水の調香に取り入れました。
「五感を刺激する緑豊かで太陽に満ちた香り」というランドリーデイは、植物ベースの原料から作られているため、完全に再生可能で、容易に自然界の微生物の働きにより、分子レベルまで分解し、最終的には二酸化炭素となって自然界に戻るとされています。
酵素反応技術
天然原料から抽出され、香料として利用される化合物セスキテルペノイドの中には、オレンジの甘い果汁感の役割を果たすもの、香木の一種であるビャクダンの香気を特徴づけるもの、カモミールの甘い香りを有するものなどがあります。

中でも注目されているのが、フルーツフレーバーの天然感や香味増量効果を得られるもので、この種のセスキテルペノイドをどのように安定供給するかが課題でした。セスキテルペノイドの合成法には「有機合成法」と「酵素合成法」がありますが、前者は環境負荷が高く、作業危険性などのリスクもあります。それに対してバイオテクノロジーを活用する後者は、環境調和や作業安全性などの面でSDGsの理念にも合致します。

具体的な事例として、長谷川香料株式会社総合研究所が早稲田大学との共同研究により新しい酸化反応系を構築しました。この取り組みにより、酵素合成法によるセスキテルペノイドの安定供給への道を拓きました。
また、近年の香気分析技術の向上によって、セスキテルペノイドをはじめ、微量香気成分の発見事例が増えてきており、今後も香料と品質を高め、優れた製品の供給への期待は高まっています。

バイオテクノロジーの発展による香料分野への影響

香料分野への3つの影響

すでに日進月歩の技術開発が行われている香料分野のバイオテクノロジーがさらに発展することで、社会はどう変わっていくのでしょうか?以下では「サステナビリティ」「健康とウェルネス」「AI」という、3つの領域に注目してみます。

香料業界のサステナビリティに寄与

バイオ技術の活用によって香りを合成できれば、原料不足の問題を回避できます。また、バイオプロセスでは自然条件下(常温条件下)でのものづくりを進行できるため二酸化炭素の排出を抑制でき、環境破壊の防止やカーボンニュートラルにも貢献できます。

人々の健康とウェルネスをサポート

世界人口の高齢化などを背景に、成長が見込まれている栄養補助食品市場において、バイオテクノロジー活用も、今後発展することが予想されています。 具体的には、「バイオテクノロジー・フレーバー」の技術を、栄養補助食品分野に応用することで、人々の健康とウェルネスの促進に活かすことも期待されます。バイオテクノロジー・フレーバーが栄養補助食品の有効成分の不快な味をマスキングして、人々が進んで栄養補助食品を摂取するようになることで、健康上の利点を損なうことなく製品をより嗜好性の高いものへ改良することができるのです。

AIとの掛け合わせで香水に新たな可能性

バイオテクノロジーにAIを掛け合わせることで、従来の方法では難しかった、ソースを大量に消費する複雑な香りの組み合わせが実験可能になり、新しい個性的な香りの創出もしやすくなります。さらに、生産プロセスの最適化により廃棄物や二酸化炭素排出量が減ることも期待されています。このように、バイオテクノロジーとAIを掛け合わせることでより環境に配慮した魅力的な香水づくりが可能となるでしょう。

香料分野はバイオテクノロジーの活用が注目されている

【バイオテクノロジー 香料 のまとめ】

・人気の就職先は香料メーカーやバイオファウンドリ(※)などの研究開発職
・バイオテクノロジーの技術は香料分野でも重要視されている
・香料分野のバイオ技術は、原料不足回避による業界の持続可能性やカーボンニュートラルにも寄与

*ロボティクスやAI を用いて微生物開発から実用化までを高速におこなう技術基盤を備えた企業のこと

政府も注目している「バイオものづくり」の重要領域である香料分野。人類のサステナブルでウェルネスな生活を可能にするフレーバーの開発や、これまで未体験のフレグランスの開発などに期待が寄せられます。

香料分野の今後の発展においてバイオテクノロジーの活用に期待が集まる中、バイオテクノロジーの研究開発を第一線で行うことはバイオ研究者にとって魅力的な研究となるでしょう。