【バイオテクノロジー業界研究⑤】細胞レベルからのスキンケアを実現~化粧品分野編~

監修者プロフィール

福山篤史氏
日本総合研究所 創発戦略センター コンサルタント「微生物によるバイオプラスチック生産」を対象とした研究開発の経験を活かし、現職では、政府機関・民間企業に対するバイオテクノロジー・バイオマス由来製品の実装に向けた戦略策定支援、カーボンリサイクル/CCU(Carbon Capture and Utilization)技術の実装に向けた産官学連携のコンソーシアムの企画・運営を担当。著書に「図解よくわかる スマート水産業 デジタル技術が切り拓く水産ビジネス(共著)」「図解よくわかる フードテック入門(共著)」(日刊工業新聞社)。
福山篤史氏

2021年に経済産業省が発表した報告書「化粧品産業ビジョン」によると、世界の化粧品市場規模は約4,263億USドル(約46.5兆円/2019年)で、そのうち日本の市場は約350億USドル(約3.8兆円/同年)。日本は米国、中国に続く世界第3位でした。世界の化粧品市場全体の約4割がこの3か国で占められており、多数のブランドによる競合状態が続いています。

現状、日本製の化粧品には「高機能」「高品質」「安心・安全」というイメージがあり、海外でも高く評価されています。そして今後、日本の化粧品メーカーの競争力をさらに高め、差別化の源泉になると言われているのが「バイオテクノロジー」です。

バイオテクノロジーを活用することで、化粧品分野の技術力向上や新たな価値創出を目指す取り組みが行われている化粧品業界。化粧品市場のバイオテクノロジーの実態や技術開発、今後のトレンド、バイオ研究者として身につけておきたい視点などについて解説します。

化粧品市場のバイオテクノロジーの実態

バイオテクノロジーの実態

経済産業省は2021年4月、日本の化粧品産業の更なる競争力強化と継続的な発展を目指すことを目的として「化粧品産業ビジョン」を策定しました。その中ではビジョン策定の背景として、化粧品産業を取り巻く環境変化について言及されていますが、バイオ研究者として把握しておきたいのは、「イノベーションの進展」としてバイオテクノロジーが紹介されている点です。

同報告書が言及している事例をいくつかご紹介しましょう。例えば、以下のバイオ技術が挙げられています。

・肌の状態を核酸レベルで評価する分析手法や、再生医療技術を応用したエイジングケア製品などの開発

・ゲノム解析による老化予測の研究、量子コンピューターを活用して化粧品に最適な処方を短期間で開発する技術

・AI・ビッグデータを活用した化粧品のパーソナライゼーション

花王株式会社は、AI技術活用で経験豊富な株式会社Preferred Networkと協働して皮脂にリボ核酸(RNA)が存在することを発見し、そのRNAを網羅的に解析する独自技術を開発しました。この技術によって、これまでの肌測定・解析技術では把握できなかった肌内部の状態の把握や、将来の肌ダメージのリスク評価が可能に。さらに、遺伝情報をもとにパーソナライズされた美容アドバイスやスキンケアの提供により、肌トラブルの改善・予防への道を拓くことが期待されています。

また、株式会社マンダムでは、産学連携によるオープンイノベーションの促進を目指し、2015年に大阪大学大学院薬学研究科にて「先端化粧品科学共同研究講座」を開設。再生医療分野などの技術を駆使した製品への応用・創出に取り組んでいます。そしてこれまでに、長期培養が可能なヒト汗腺の筋上皮細胞の樹立に成功するなどの成果を得ているようです。

主な就職先は化粧品メーカーや化学品メーカーなどの研究開発職

化粧品分野のバイオテクノロジーに関連した主な就職先は、化粧品メーカーやバイオベンチャーの化粧品原料製造部門、化学品メーカーのバイオ製品研究開発部門などです。業務としては、化粧品原料の製造や、新製品開発のための研究開発などが含まれます。化粧品という性質上、女性からの人気が高いのも特徴のひとつと言えるでしょう。

細胞レベルのスキンケアやサステナビリティなど

化粧品開発に活用されているバイオテクノロジー関連プロジェクトの中には、体の状態を細胞レベルで把握し、パーソナライズする試みに加え、「サステナビリティ」や「環境意識への高まり」に関連する取り組みもあります。

例えば、資生堂は2030年に向けたR&D戦略で掲げた3つの柱のひとつとして「Sustainability INNOVATION」を重要な研究領域として位置づけています。製品の効果や上品なデザインや感触などから得られる満足感と、人や社会、環境への尊重・共生を両立させる、サステナブルなイノベーションの創出を目指します。

バイオテクノロジー関連の主な技術開発(化粧品市場編)

化粧品分野のバイオテクノロジーのトレンドには、大きく分けて「細胞レベルで一人ひとりに合わせたスキンケア」「バイオ由来の原料や基材の開発」「バイオプリント皮膚技術」の三つがあります。化粧品分野のバイオテクノロジーに従事する研究者たちは、各領域でどのような技術開発を行っているのでしょうか。具体的事例とともに、「概要」「市場規模」「成長性」についてそれぞれ解説します。

細胞レベルで一人ひとりに合わせたスキンケア

バイオテクノロジーの発展

DataM Intelligence社の調査によると、パーソナライズスキンケア製品の需要は今後ますます高まり、2023年-2030年では8.5%成長すると予測されています 。

その理由のひとつとして、世界的な高齢者人口の増加が背景にあります。WHOによると、2030年には世界の6人に1人が60歳以上となり、2020年時点で約10億人だった60歳以上の人口は、10年間で約14億人まで増加すると言われています。

加齢によるシワなどの肌の変化に伴い、スキンケア製品への需要は高まります。一人ひとりの肌悩みに合わせてカスタマイズ可能なパーソナライズスキンケア製品はこれらのニーズに適しているため、今後の発展が予想されます。

パーソナライズスキンケア製品の開発技術には、前述のRNA(リボ核酸)を用いたものがあります。DNA(デオキシリボ核酸)は体質や骨格など「一生変化しない固有の特徴」を生むのに対し、RNAはそのときの体調や環境により、作られる量が変化します。そのため、RNAを分析することでその時々の体内や肌の状態を推測でき、一人ひとりに合ったきめ細やかなスキンケアが可能になるのです。

これまでは、RNAを採取するには外科的に皮膚を切除する必要がありました。しかし、前述のとおり花王が皮脂の中に分析可能な状態でRNAが存在することを突き止め、「あぶらとりフィルム」を肌に当てることで簡単に採取できる方法を開発しました。そこから、RNAを抽出して網羅的に解析する技術が研究されました。

2024年3月には、花王と日本最大級のコスメ・化粧品・美容の総合情報サイト「@cosme」を運営するアイスタイルが、「RNA共創コンソーシアム」を共同設立。@cosmeのサイトで承諾を得られた会員の皮脂からRNAを採取しグルーピングすることで、人々に選ばれる化粧品の傾向を解析するという取り組みが行われています。「RNA共創コンソーシアム」を設立した両社は、「皮脂RNAモニタリング」の先端技術を核に、さまざまなビジネスの共創を目指しています。

また他には、2024年5月には、株式会社コーセー、アイ・ピース株式会社、レジュ株式会社の3社が、iPS細胞からの抽出成分「iPSF」を配合した「パーソナライズ美容商品」を開発するために技術提携すると発表されました。ユーザーは自身の血液などから採取した体細胞からiPS細胞を作り、そこから抽出された成分を美容商品として使用できます。成分に加えて、ジェル剤型、クリーム剤型など、顧客の使い心地や好みに合わせた商品提供も可能になることが期待されます。

バイオ由来の原料や基材の開発

近年、国内外の消費者は「ナチュラル」「ボタニカル」といったキーワードで原材料をチェックしてから購入する人も増えています。こうしたトレンドに呼応して、化粧品業界の複数の企業でも「サステナビリティ」や「環境を配慮した取り組み」を行うようになっており、そこに関連するバイオ由来の原料や基材の開発技術なども注目度が高まっています。

世界の化粧品産業向けバイオベース製品の市場規模は、DataM Intelligence社の調査によると、2022年の74億米ドル(約1兆741億円)から、2027年には105億米ドル(約1.5兆円)を超える規模に達すると予測されています。

世界最大の化粧品メーカーである仏・ロレアル社は、環境科学、農学、バイオテクノロジーなど、ここ数年で大きな進歩を遂げた科学分野を包括する概念として「グリーンサイエンス」を掲げています。グリーンサイエンスとは「再生可能な原材料を使用し、生物の力を利用して、有効成分、環境に配慮した高機能素材の生産を可能にする科学の総体」とのことです。この理念のもと、ロレアルは2030年までに原料の95%を天然・バイオ由来原料に転換することを目標にしています。

また、資生堂では、化粧品に自然由来原料を処方するだけでなく、サプライヤーと協力してCO2排出量を削減する取り組みや、バイオ原料への切り替え促進などを実行しています。独自の容器包装開発ポリシー「資生堂5Rs(Respect、Reduce、Reuse、Recycle、Replace)」にもとづき、環境負荷の抜本的軽減に寄与するサーキュラーエコノミーの実現を目指しています。 その一環として「2025年までに100%サステナブルな容器を実現する」という目標を掲げ、達成に向けてバイオマス由来の素材やリサイクル素材の利用を進めていますが、そこにもバイオテクノロジーが活用されています。

株式会社コーセーは、商品の容器の一部にバイオプラスチックを採用し、石油由来原料の使用量削減および商品のライフスタイル全体におけるCO2排出量低減に貢献しています。洗顔料やシャンプーなどの商品には、万が一河川に排出されても自然界の微生物によって分解されやすい、生分解性のアミノ酸系原料を使用しているとのことです。

バイオプリンティング

「バイオプリンティング」とは3Dプリンティングと同様、デジタルファイルを設計図として立体モデルを一層ずつプリントしていく積層造形技術です。ただし、細胞やバイオマテリアルを使用し、生きた細胞を増殖させる臓器のような構造物を作れる点は3Dプリントと異なります。

バイオプリンティングはまだ発展途上の技術ですが、今後、化粧品市場に大きく貢献する可能性を秘めています。ヒトの皮膚を対象としたバイオプリンティング技術が進めば、人体や動物を使用せずに化粧品を開発できる可能性があります。

DataM Intelligence社の調査によると、3Dバイオプリンティング技術の市場は2022年に20億米ドル(約2,902億円)に達し、2030年には64億米ドル(約9,290億円)に達すると予測されています。

ロレアル社ではすでに、バイオプリンティング技術によって湿疹やニキビなどの状態、日焼けや傷の治癒能力など、実際の人の皮膚の多様性を忠実に再現する試みがなされています。ロレアルはさらに世界中のスタートアップ企業や研究機関と連携を強化し、実際に刺激を感じる人工皮膚の実現を目指しているといいます。

バイオテクノロジーの発展による化粧品分野への影響

技術開発の開設

このように、化粧品分野においてバイオテクノロジーの技術開発は活発に行われています。今後さらに発展することで社会はどのように変わっていくのでしょうか。ここでは、将来の展望について解説します。

パーソナライズ美容の進展に寄与

バイオテクノロジーの技術を活かした取り組みが発展すれば、将来、「一人ひとりに最適化された細胞レベルのスキンケア」が当たり前になっていくでしょう。また、パーソナライズ美容の進展に伴い、ユーザーが自分に合った化粧品を使用するようになれば、現在世界的に問題視されている「コスメロス」(まだ使える化粧品が廃棄処分される問題)の防止にもつながるでしょう。

サステナビリティや環境を意識した地球規模の取り組みに貢献

今、化粧品業界ではバイオ由来の原料や基材を使用する取り組みが進められています。今後、ESG投資の観点からも、環境に配慮した取り組みは化粧品メーカーにとって必須となっていくでしょう。このようなトレンドから、さらに多くの企業がサステナビリティを意識した取り組みの一つとして、バイオテクノロジーを活用していくことが予想されます。

化粧品開発の動物実験の廃止へ

バイオプリンティング技術が一般的に活用されるようになり、ヒトの皮膚をより忠実に再現したバイオプリント皮膚技術が発展すれば、動物実験をせずに化粧品開発ができるようになるでしょう。現在、多くの企業が売上を追求するだけでなく、よりエシカル(倫理的)であることも意識しており、バイオプリンティング技術を通じた動物実験の廃止はその流れにも沿うトレンドになるはずです。

化粧品分野はバイオテクノロジーによりさらなる発展が期待される

【バイオ 化粧品 のまとめ】

・人気就職先は化粧品メーカーや化学メーカーの研究開発職
・バイオテクノロジー活用により化粧品分野の技術力向上と新たな価値創出を目指す
・パーソナライズ美容やサステナビリティに寄与

化粧品分野では、バイオテクノロジーの活用が世界的に注目されています。日本の化粧品業界でも技術力向上や新たな価値創出のため、日々研究・開発が行われています。

化粧品分野でのバイオテクノロジーの活用は「パーソナライズスキンケア」「バイオ由来の原料や基材の開発」「バイオプリンティング」などがありますが、個人の悩みに寄り添ったスキンケア製品に対する需要の向上や、環境保全や倫理的であることを追求する世の中のトレンドからも、今後の成長が期待される分野です。

化粧品分野のバイオテクノロジーは日々進歩しており、今後の動向からも目が離せません。バイオテクノロジーを活用する研究開発職を目指す方は、選択肢のひとつとして検討してみてはいかがでしょうか?